現象学的ー津軽的

青森(とくに弘前)のこと、現象学(術)のことなど、書いていきます

津軽、周縁の戦略として

3月上旬に弘前に引っ越して以来

最初は、雪に悩まされ

鬱寸前の暗闇

近所のツルハドラッグまで出かけるのが、やっと、となりましたが

 

雪が消えてからというもの

毎朝の岩木山の「困惑するほどの美しさ」が続き

さらに、家からほんの10分も自転車で走れば

壮大なりんご畑が広がっていて

また、この時期には桜…

 

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そして、それらを眺める人々の、解放的な表情

ここに生きていることの誇らしげな顔。

そして、透き通るような肌、首都圏や関西圏でみる美人とは

また、別ジャンルの津軽美人と、重なり合う風景…。

別に何と比較して、どうのと言うのは難しいですが

少なくとも、これほど美しい風景に囲まれて迎える春は

初めてのような気がします。

 

私は、少しだけ、この岩木山やら桜やらを

写真に収めましたが

どんなに写真をとっても、どんなに言葉を尽くしても

この美しさを、人に伝えることは、できないだろうと思います。

 

もちろん、冬を越えててこその比類なき解放が

美しさを産むから

「冬という文脈」を、共有しないと、美しさが共有できない

という問題もあるかもしれませんが

(とは言え、私も3月に来ただけ…)


「美しさ」を言い表すのに

何かの尺度を設けたり、何かと比較して語ることには

ほとんど意味がなく

また、美しい、ということを、言葉で言おうとすることの不可能性

まさに、文学的世界、現象学的世界に

いま、この身を投じている喜びを感じます。

 

 

しかし、こういうもの…

岩木山、桜、りんご畑、美人、食べ物、水の美味しさ。

確かに、これらのものを

人に伝えることは、凄く難しいのですが

 

意地悪く言えば、別に伝えなくても、いいのではないか?

もっと悪く言えば

こんなものを、外から来る人たちに伝えるなんて

「もったいない」という感情すら、沸いて来ます。



以前、茨城県の大洗港で聞いたのですが

大洗では、東京からの日帰り客を呼ぶツアーみたいなのがあり

そこで、刺身なんかを振る舞うそうです。

すると、東京から来た人々は

「やっぱり、地元の魚は違うなー」

「ナマは違うよね」

とか言って

喜んで食ってるわけですが

実はそれ、東京の築地から送ってもらった魚だったりするそうです。

本当にウマいものは

自分たちで食ってしまって

東京者には、大洗の「雰囲気だけ」食ってもらおうという話です。

(これが事実だったら、それはそれで、ヤバいですが)

 

 

しかし、元来、観光とは、そういう部分もあったはずで

自分たちが「このように眼差されたい」という前提から

秋田美人やら、津軽りんごなんちゃら…

関西で言えば、大阪のビジネス街で食わせる滋賀高原野菜みたいなナゾ商品

を、上手にプロモーションし

物語り(騙って)きた部分はあろうかと思います。

その意味で、周縁は、必ずしも中央に収奪されているわけでなく

ある部分では、常に戦略的に振る舞って来た部分もあるはずです。



この周縁の戦略、を

文字化しているのが、津軽学の試みであり、弘前大の人類学、社会学等の

研究蓄積ではないでしょうか。

 

私は以前から、弘前大の作道信介先生(文化人類学)とか

現首都大の山下祐介先生(社会学)が書いてきた限界集落論考にもある

津軽人の二重戦略について、ほんとかよ??と、疑って来ましたが

いざ、目の前で、津軽の春を見せられると

二重戦略、さもありなん、という気がするのです。

 

曰く、津軽人の出稼ぎは

決して暗く、ツライ、という側面からのみは捉えられず

むしろ戦略的なものである…と。

 

あくまでも、津軽軸足を起きつつ

常に都市部へ「浮遊する」隙間を残しておきながら

津軽ー東京の

二重空間を生きるという戦略です。

 

当然ですが、「津軽」にべったりでも、「東京」にべったりでも

人は疲弊しますが

あくまでも「二重」の、土着と浮遊を確保するあたりが

津軽人の性に合う、という感じです。

 

辛く、厳しい冬を

出稼ぎで外に出て生きながら

桜の時期には、きっちり戻って来て、ねぶた(ねぷた)で舞い上がって

また寒くなると、都市へ出て行く…笑

 

農村から都市へ、単純な労働力の移動、流出ではなく

あくまで、津軽にホールディングされた形で、東京に浮遊し

そこで稼いだ金で、津軽の家を墓を立派にする…

そして、上手くいけば、出稼ぎ期間の失業保険(半期)も活用する…

家の畑は、ちょいちょい耕すけど、これ、労働でねえがんね…みたいな

 

しかし、大事なことは

都会の人間に、それを「教えない」ということです。

都会に出たら、黙って、朴訥な津軽人を演じていれば、それで良い。

 

出稼ぎは辛いのう、苦しいのう…。

いまの時代にまで、そんなこと、しなきゃいけない悲劇。

と、言い続ければいい。

(無論、実際にハローワークに出てる季節労働の求人は、驚くほど過酷ですから笑えません)

 

帰って来たら

何より美しい風景、美しい女性、うまい酒がある…

それは「教えない」という…。

 

 

もちろん、そんなことを

実際の津軽の人たちが、意識してやっているとは思いませんが

周縁に生きると言うことは

何を開示して、何を開示しないか

押し付けられるものを、どの程度まで受け入れ、利用し

どの程度まで受け入れないか、拒否するのかを

本来、調節できるのであり

 

いまの津軽がどうだかは知りませんが

(なにせ原発については、周縁の戦略が暴走してるので…)

 

無意識のうちに、大事なものを、うまーーく、隠しているんじゃないかな。

あえて「言わない」ようにしてるんじゃないかな。

それは、素晴らしいなと

最近、思う次第です。

 

たぶん、ヨーロッパでは、北欧のノルウェー辺りが

そうなんじゃないですかね。たぶん、、、ですけど。

西欧やロシアの連中が、どうのこうの言ってるが

アイツらがやってることは、たいてい、ロクなことにならん!と(笑

デンマークあたりを眺めて、あいつらがウマく行くようだったら

自分たちも、取り入れてみよう、、みたいな。

 

これもまた、弘前大では

人類学、社会学系の女性陣が

『故郷サバイバルーフィンランドと青森のライフスタイル』を

書いてますね。

やはり、このあたりを参照すると、面白そうです。