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現象学的ー津軽的

青森(とくに弘前)のこと、現象学(術)のことなど、書いていきます

日本人のテツガク(=人生訓)だとすれば

友人がラインとかで

たまに教えてくれるのですが

今日は志茂田景樹のブログが、いいこと言ってると教えてくれました。
 

lineblog.me



なるほど、確かに

そうかもしれない。

けど、言ってることは

割と当たり前だ、、、

しかし、どこか「本質」に突き当たってることは

否定できない。

そうとしか言いようがない、納得感があります。

もし、本質に突き当たってるとすれば

これはテツガクなのではないのか??



【日本人に西洋哲学はウケないが…】

面白いのは、こういう人の書いてあることを

日本人の何万人もが読んでて

これを「良い、面白い」という感性を持っていることです。



その友人は、他に叶姉妹のブログも教えてくれたのですが

これも、意味的には似ています。

ここに書かれていることは

生の本質、社会の本質に突き当たってる気がする…

(彼ら、彼女が書くことは、とうぜん、人間関係や、芸事や、性の本質にも通じる)

 

これは、すっごい乱暴に言うと

哲学が追求してきた問いと

どっかでリンクしてるって、ことなんですよね。

 


もちろん、志茂田景樹

哲学書を1冊でも真面目に読んだとは思いませんし

哲学史やら、フッサールニーチェの問題意識を

知っているわけじゃないと思いますけど

でも、それと

どっかで、噛み合ってることは重要です。



観念哲学の本場、ドイツでは

未だ古いことはいいことだ、難しいことはいいことだ

という教養主義が日本よりは生きてますので

テレビタレント、が言うことより

ニーチェハイデガーが言ってたことのほうが重要で

それを読み取り、腑に落とすこと

(=古典を読むこと、そのための教養を付けること)

への渇望が残っていると聞きます。


私は、日本人に、そういう教養主義的、古典哲学的なことは

あまりウケないと思ってますが

(なぜか、教養的、古典的=西洋哲学に通じてしまうので)

 

しかし、その分だけ

人生哲学とか、経営哲学、成功哲学みたいなものは

日本でも凄く受けています。

誰か、そこそこ有名な人が

じっさいに自分が生きてきた人生と重ねて

人生訓(=哲学)を語ると

すさまじく大衆に理解されると言う構造があります。

 

 

【日本人が読む、人生哲学、経営哲学】

確かに、それを本物の哲学じゃないとか

そもそも人生訓(どう生きるか)と

哲学(なぜ生きてるのか)は

問いの水準が違うとか

何とかかんとか、言ってもいいんですけど

 

けど、とにもかくにも

それが言葉として一般に受け取られているわけですから

日本人は、別に哲学が嫌いなわけではないでしょう。

ただ、抽象的概念を積み重ねた哲学より

「生きられた具体」を通した哲学のほうが、効くという話です。

 

そういうものであれば

書店の入口に平積みになる可能性があり

ブログで読まれうることが、面白いと思います。



とすると

ワタシのような奴が考えることは

個別、具体の、人生哲学や経営哲学と

西洋古典哲学みたいなものが

どこで繋がってて、どこが違っているのかを、内在的に理解し

人に伝えられるようにすることでしょう。

 


確かに、志茂田景樹や、叶姉妹の文章には

単なる人生のハウツーを越えた

本質に近づこうとする意志を感じます。

 

それを、面白いと思って読む人が

いるということを

ポジティブに捉えても良いはずです。

 

そして、そこから

やはり、もう少し深く、もう少し広い

哲学の海へ漕ぎ出す「生の意味」を必要とする人は

どこかにいるのではないかと思っています。